「身近な里の魚たち」 清流長良川の鮎として長良川中流域が世界農業遺産に認定されたのを記念してわかくさプラザ多目的ホールで環境講演会が催されましたので聞きに行ってきました。 ついでに借りてきた気軽な本3冊、15巻のうち関ヶ原から大阪入城までの物語です。幸村が失意からどのように立ちあがったのかが書かれているはずで、冒頭部分5冊が借りられていたのでここを選びました。
岩佐鵜匠の「川の魚は本当に少なくなってきている。」という現実を踏まえたダメ押しには、カワウやアオサギが多いのは自然が豊かに回復してきたからと長閑に考えていた私の認識の甘さを粉々にしてくれました。
藤谷川は岐阜県指定のホタルの川です。
私が藤谷に帰ってきた30年前前後に従来の川筋は消え、今のまっすぐな流路になってしまいました。昭和の初めころ大仏山が土石流を起こし、田んぼが殆んど河原になってしまうという大災害があったそうです。「朝鮮人」労務者がたくさん連れて来られて川筋が整えられかつての藤谷川があったのです。
銀吾さんが市役所に掛け合って、アダプトプログラムによる藤谷川の整備をみんなで行ったので、昨夜の大雨をうけてとても気持ちの良い流れです。ここはホタルが多いです。 それにしても、大仏山、故郷との山はあり難きかな、です。
この辺りが上流では最もホタルの多いところ、川底は岩です。カワセミもいます。
藤谷集落センター脇には、「親水性を保証して欲しい。」とお願いしたら、元建設部長のSさんがまだ課長でもなかった頃でしたが、川へ下りる階段と川底に自然石を並べて四段の段差をつけてくれました。実力のある技術者だったんですね。
我が家の前の橋から上流200mほどは昭和初期頃の「朝鮮人」労務者たちが骨折って積んでくれた石垣が未だに健全に両岸を守ってくれています。
何十年もの間洪水に耐えてきた石積の技術は素晴らしいものです。
かなりの大雨でも、川のすぐそばにある畑に水が着くことはありません。
右手の平面は川でいろいろなものを洗うための作業場です。ここは代々川を本当に大切にされるお宅の“こうど”です。
かつて土木作業員だった父が頼まれて架けてあげたコンクリート橋にも未だかつて水が着いたことはありません。流路が作られて80年余り、昭和初期の土木・設計技術の水準の高さに感心させられます。
そして皆が川には神様がいるから汚してはいけない、と川をとても大事にしていたのです。野菜洗いや洗濯ものは家の前の「こうど」でするが、糞尿を汲む肥桶は一番下流で洗うことなどの掟が徹底していました。そんな昔を思い出します。
これより上流はまたコンクリートブロックを無理やり並べて作った水路川です。
旧流路との接合がぎくしゃくしていて川の真ん中に土砂が堆積します。
藤谷川は昭和初期の、人が川と水をとても大事にしていた頃の思い出を流し続ける富野では稀有の里川です。今日の講演を聞きながら藤谷に住むことの有り難さを噛みしめていました。
そう言えば今朝の新聞に、この前私が恵子さんと訪れた美濃市の洲原近辺の記事が載っていました。富野地域委員会でもこんなマップができたら素敵です。