今日は支援して下さる方のお供で、市の西部から北東部まで数時間走り回りました。支援者の知り合いの方々ですので突っ込んだ話ができました。
現職議員の引退情報や議員諸氏の活動の様子などなかなか知ることが難しい情報が簡単に聞けます。人の口に戸は立てられない、と言いますがこわいです。
こんな匿名のご意見が寄せられました。私の後援会へのご案内のリーフレットに綴じこんだ返信はがきに書かれていました。
私自身、前の時には議員報酬500万円を謳ったのですが、「そんな額では議員として活動できないだろう。」という意見が多かったです。「足りない分を稼ごうとしないようにある程度の額が必要だ。」ということも聞きました。
このご意見のようにボランティアで済ますには、青年議員や学齢にある子育て世代の議員はやっていけないことになります。そうすると経済的にかなり余裕のある人しか議員になろうとしないということになって、意見の多様性を聞き取れなくなってしまいます。その結果として一般市民から市政がますます遠のいてしまうかもしれません。
私は一番の問題は、「670万円の議員報酬ではとても足りないだろうに、良く頑張る。」と市民に評価してもらえるような議員活動が見えていないことだと思います。もっとも、そこまでしていないから見えないのか、しているが伝わらないのかも分からないのが現状です。
武儀町や上之保も訪問して後援会のご案内をさせて頂きました。多くの皆さんが「あーっ、あそこに立っている人かー。」ともの珍しそうに見つめてくださいます。
「アンタンタ、町の人が来て荒らし回って、地元の議員がおらんようになったら困るでなぁ。」という声がどなたからも聞かれました。「でもそれでも当選できると、定数を25から23に減らすことに賛成されたのは現職議員たちですし、、」と思いましたが黙っていました。身を切る、ということはこれなのでしょうか?
私自身は、たとえ議員報酬を減らしてでも議員定数は増やして、過疎地の声など多様な意見が議会に届くようにすべきだと思い続けています。つまり市民の声を行政に反映させる窓口=議員数を適正化しながら、身を切る=報酬の適正化も行うことが本当ではないかと思っています。
ただ、実際の選挙になってみると過疎地の議員が必ずしも弱くはない。それどころか結構強い、ということになるだろうと肌で感じてはいます。