縄文人で思い出したのがこの岩窟です。
藤谷の奥、大きな砂防堰堤の奥の大きな二つの洞の一つにあります。10時の方向へ飛びだした突端に我が川合家が150年ほど前まで住んでいたところ。9時の位置の内側へ入っているのが高さ10m、長さ60mのコンクリート製砂防堰堤です。この岩窟は12時方向へまっすぐ入って行く洞の付け根にあります。
今日はもう誰も入らなくなった、50年以上前の藤谷の共同の山仕事、薪作りのための山道を辿って、高澤古道まで登ってみました。
我が先祖の住まった川向こうの細長い土地。ここなら330年前に円空さんがたびたび訪れて木端仏を彫っておいて行った、という言い伝えも信憑性が増します。
山の神様。 藤谷はとにかくそこらじゅうに神様が祭られています。誰もお参りするものがいないのでさびしそうです。
水分補給用の、昨日浜松の義兄から送って頂いたミカンを供えてきました。
山の神は大事にしないといけません。
この神様の祭ってあるより少し上の断崖にあるのが縄文人が住んでいた?岩窟です。

間口3m、奥行きも3m程度で、床は斜面ですが雨風や寒さを防ぐには不自由ないでしょう。小仏山の円空屈は「ひょっとしたら、平地に近く、川の流れもすぐ近くのここなのでは。」と思っています。
もう12月だというのに温かいからなのか、それともそういう種なのか、トンボが。
オツネントンボ,かも。
スノキの実がいっぱい生っています。
たくさん摘んで食べてみました。少し酸っぱいが甘さもあります。幼いころ年長の兄たちについて回った時に食べた甘味がよみがえりました。
汗だくで、やっと高沢古道にたどり着きました。
高沢観音の庫裡と鐘楼が見える断崖の東屋に立っています。
イノシシの目に当たるところに白いキノコがいくつも生えています。アベマキの株。
鳥、ケモノ、何でも穴の中に安住の地があるのですね。