朝7時半から火の見の田んぼの畔草刈り。
8時からは藤谷活性化プログラムの一環、高澤参詣道再開発プロジェクトの作業でした。プロジェクト責任者の銀吾さんが水切り作業を済ましてくれたので、今日は鳥ボラの参詣道脇の水田跡の草と灌木を切り払いました。
銀吾さん、Mさん、Kさんがエンジン音をけたたましく立てながら作業開始。
2時間近くすると10枚余りの耕作放棄田の一番上の段あたりに差し掛かりました。Sさんが刈り払った草木を田んぼの隅っに引き寄せてくれます。
Kさんも刈り払った灌木を気の済むまでつだんで、田んぼの端まで引きずって処分。キチンと、納得のいくまでやりきる、都会人だったとは思えないお百姓ぶり
。

Mさんは手鋸で、立ちがれた木を根気よく切り倒してくれました。
「どうもふらふらする、さっき頭を蜂に刺されてまったで。」 みんなびっくりして帰って頂きました。山仕事はいつ蜂に刺されるかしれない危険な作業です。マムシも。
10時に作業を終えると銀吾さんの奥さんMちゃんがスイカを持ってきて食べさせてくれました。銀吾さんが美濃加茂市の加茂野に借りた畑で採れた自慢のスイカは本当にうまかったです。作業の後のこういうのは本当にうれしいです。![]()


昼時にやってきた3人の子供と嫁さん、長女のフィアンセと連れ立って高澤観音へお参りに。今日はそのあとに買い物が控えていたので車2台に分乗して参詣。
本殿脇の水車が勢いよく回っていました。縁日には欠かさず茶店を開いて参詣者たちをもてなすボランティアの皆さんに勧められて冷たいお茶を頂きました。本当にご苦労様です。千手観音菩薩の御利益がありますように。
毎月十八日が縁日の高澤観音は最近ではそれにいちばん近い日曜日を縁日とされています。岐阜県ではここにしかないと言われる「籠り堂」の千手観音菩薩は実は昭和18年に、名古屋市千種区の覚王山日泰寺近くにあった日龍峰寺名古屋別院からお戻りになった仏様だということです。
住職とお庫裡様にお話を伺ったのですが、その名古屋別院がどこであったのかがはっきりしないのだそうです。私は日泰寺の周りの高級マンション群や住宅群が森永牛乳配達員アルバイトのころのテリトリーでしたからとても興味を持ちました。
古い寺のあふれる街・京都の大学出身の長女のフィアンセも「調べること大好き!」な青年ですから彼と協力しながら気長にその「日龍峰寺名古屋別院」を究明したいと思います。
高澤観音はまだまだ謎に満ちたお寺なのです。
