父の四十九日を控えて、恵子さんと片付けをしていて、土蔵へ物を仕舞いに入ってふと目にしたもの。中身が何だったのか分かりませんがちょうど牛乳パックのような大きさです。![画像に含まれている可能性があるもの:室内]()

宛先の河合政助は4月に93歳で亡くなった父の父親です。私が生まれて間もない昭和30年ころに亡くなっています。
送り主の河合盛夫さんはその弟の1人で美濃市の市(町?)議会議員を務めたことのある方でした。叔母たちの嫁入りや法事などで我が家へやってくるととても機知にとんだ冗談を言う方で、私も子供心に「面白い人」だと慕っていた方でした。
その住所が東弥付中野 電信隊第四中隊六 とあります。これって陸軍中野学校と関係あるのかな?と思いました。
父の一番上の姉(私には伯母)の配偶者だった人は空軍?の通信兵で、「重慶の爆撃の時には盛んに電文を飛ばしたものだ!』と言っていました。父の二番目の姉(私には伯母)の配偶者だった人はインドネシアの占領時に従軍していたと話していました。
私がまだ17、8歳までの、大人たちの酒席での自慢話ですからどれだけ真実だったのか分かりませんが、戦後20数年したころの大人たちの自慢話。今考えれば侵略戦争に加担させられた事への反省など微塵も聞かなかったことになります。